青い鳥

青い鳥。
という映画を昨日借りたもので観た。
とある学校で起きた事件により、
療養中の担任代理で来た
重度の吃音を持つ臨時教師。
クラスの中で起きたいじめによる自殺未遂の生徒とクラスメイト。

そこでの大人都合でしかない教育現場。
それに正面切って本気で向き合う臨時教師。

重度の吃音をもつ臨時教師の言葉に、
「強くなんてならなくていいんだ。人間なんか所詮弱いんだ。」
「一からやり直そうなんて卑怯だ。」
「みんな間違ってる。人を嫌うからいじめ、人を集団で責めるからいじめじゃない。」

いじめは、
「苦しい辛いの声に気づかないフリをしたり、その人の気持ちを踏みにじったりすることがいじめなんだ。」

今の自分にも当てはまるし、
今の犯人探しだらけの社会にも、
突きつけられたテーマだと思う。

青い鳥って結局、最期はその問題から逃げてしまう。けれど、この映画は真摯に最期まで生徒も教師も向き合った。
青い鳥が題名だけれど、
まさしくこの課題に直視してない我々大人たちも、大人という肩書を借りた、「青い鳥」ではないだろうか?

かくいう自分も過去に虐められる側、
虐める側両方に立ってしまった過去がある。
でも、それを無いことには決してならないし、
問題を風化させることが責任じゃ無いと思う。

学校であろうと会社であろうと、組織であることには変わりない。

まるで人間は蟻みたいな生き物だ。
蟻にも色々いる。
働きアリ、怠けアリ、支配者アリ、
弱者アリ、兵隊アリ、、、

アリは結局、自らより大きい物がこれば、どれだけ強かろうと意図も簡単に弱くなる。

そんなアリと僕ら人間はなんら変わらない。

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