夜になるとふと僕は心を静かにみつめる、そんな時間になる。
以前、僕の出会った人の中に好きな小説は、太宰治の「人間失格」だ。と言っていた方がいた。
彼は当事者であり、ソーシャルワーカーである方だ。
とても優秀な彼だな、と感じたが、それと同時に心に落とす影はそれもまた凄まじいものだな、と感じた。
彼はきっと他に見たかった未来があったのかもしれない。でも、その未来をみることができなかった相当なことがあったのだと、彼とさりげない会話から聞いたことがあった。
彼の表の顔と裏の顔。
そこには様々な事を言わんとしてることだろうと思う。
ソーシャルワーカーになったのも彼自身の人生の問いについて突き詰めていく中での過程であり結果なのだと思う。
また、かつてお世話になった心理士の方は、幼いときから入退院を繰り返してきた方が見えた。
その方の瞳は軸が座ってるようにも見えるが、どこかその瞳にはこれまでの人生を物語ってるような人だった。
話を伺えば伺うほど、心理士になったことはその方の人生そのものではないか、と感じることがあった。
人は経験する過酷とも言えることが、こうしてその未来を形作る1つのパズルのピースと成りうることもあると感じることであった。
世の中には経験した過酷な経験ゆえに残酷なことが起きてしまったりもするケースもあるが、その反面、それゆえにその過酷な経験が未来のパズルのピースであり、人生追求の1つの手段になる事もあるようだ。
僕自身、介護職をかつてやってきたことも人の死に7回以上関わってきたゆえ、そして、自分の祖父母の家族介護、親戚の不審死、母の一番上の兄が自殺で亡くなっていること、いろんな事を経験したゆえに自分の人生追求を介護職を通して感じていきたかったのかもしれない。
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