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  • 斎藤一人さんと聖書の祈り

    僕はかつて、斎藤一人さん、という方の本を読んだことがあった。

    それは母からのすすめもあったとは思う。

    むしろ、母から読みなさいと言われて読んでいたと思う。

    その中で、過去形で感謝を伝えること、既にそうなったことにして口に出すこと、天国言葉と地獄言葉などがあったとは思う。

    今は僕はプロテスタントのクリスチャン。

    クリスチャンになってからからの祈りについて、最初は形式はわかってもそれがどうゆうことなのか、わからなかった。

    ただただ祈りは神様との対話、と聞いていて、そのようにやっていただけだった。

    あることをきっかけに米沢興譲教会の田中先生の説教を聞く機会があった。

    オンラインではあったが、その中で学んだのは、

    「請求書の祈りではなく領収書の祈りをしなさい。すなわち、それが既に叶えられたと信じて祈りなさい。」

    という言葉を聞いた時、はじめて点と点が結ばれた気がした。

    つまり、祈りの中での、信じます、という言葉は、

    過去形でそうなったこと、叶えられたこと。について信じます。ということであり、既にそうであること、それを、信じます。ということなんだ、ということにはじめて気付かされた。

    斎藤一人さんのことと、聖書の祈りについて、つながりはわからなかったし、どうしてそれぞれに学びを与えられたのか、わからなかったけれどもこうして今になって気付かされたものは、得たことはかなり大きいと感じた。

  • 少年時代のあの日

    井上陽水の「少年時代」を聴くと、かつて生まれ育った情景をふと思い出す。

    僕の育った街は愛知県北部に位置し、岐阜県との県境にある山の中だ。

    夏は蒸し暑く、冬は刺すように寒い。

    夏と冬の温度差はとても激しいものだ。

    また、山の中なのでたくさんの生き物と共存するような地域でもある。

    昔は野良犬にも追いかけられた、そんな地域でもあった。

    小中学校も片道4キロのある道のりを毎日登下校。

    ただ、中学は自損事故のあと、ほとんどは不登校であったり送迎が多かった。

    夜は真っ暗になり、足元もよく見えないほど暗い。

    そんな山の中に位置するド田舎だった。

    街の方に行けば観光地としては栄えているが、それも僕が中学生前後のときからだったとは思う。

    それまでは観光地とは言い難い場所でもあった。

    ゲームも自分が手にしたのは小学4年の時。

    それまでは図鑑やテレビ、工作などで遊んでいた。

    みんながゲームをしていても買ってもらえることはなかった。

    ゲームもない時代は毎日工作したり、絵を描いたり、望遠機や双眼鏡で天体観測をしたり、虫取りをしたり、ザリガニ釣りをしたり、いろんなことをやっていた。

    ラジコンにハマった時期もあり、ラジコンでひたすら遊んでいた時期もあった。

    また、実験なども好きなだけしていたと思う。

    危ないこと以外は何でもやったと思う。

    若干危ないこともしたこともあったが。

    その時はたしか、毎日図鑑を読んでいた。

    おかげで図鑑はある程度暗記してるほどだった。

    そんなこんながあのときにはあったな、と少年時代の曲を聴くとふと思い出す。

  • 人生の回想3

    夜になるとふと僕は心を静かにみつめる、そんな時間になる。

    以前、僕の出会った人の中に好きな小説は、太宰治の「人間失格」だ。と言っていた方がいた。

    彼は当事者であり、ソーシャルワーカーである方だ。

    とても優秀な彼だな、と感じたが、それと同時に心に落とす影はそれもまた凄まじいものだな、と感じた。

    彼はきっと他に見たかった未来があったのかもしれない。でも、その未来をみることができなかった相当なことがあったのだと、彼とさりげない会話から聞いたことがあった。

    彼の表の顔と裏の顔。

    そこには様々な事を言わんとしてることだろうと思う。

    ソーシャルワーカーになったのも彼自身の人生の問いについて突き詰めていく中での過程であり結果なのだと思う。

    また、かつてお世話になった心理士の方は、幼いときから入退院を繰り返してきた方が見えた。

    その方の瞳は軸が座ってるようにも見えるが、どこかその瞳にはこれまでの人生を物語ってるような人だった。

    話を伺えば伺うほど、心理士になったことはその方の人生そのものではないか、と感じることがあった。

    人は経験する過酷とも言えることが、こうしてその未来を形作る1つのパズルのピースと成りうることもあると感じることであった。

    世の中には経験した過酷な経験ゆえに残酷なことが起きてしまったりもするケースもあるが、その反面、それゆえにその過酷な経験が未来のパズルのピースであり、人生追求の1つの手段になる事もあるようだ。

    僕自身、介護職をかつてやってきたことも人の死に7回以上関わってきたゆえ、そして、自分の祖父母の家族介護、親戚の不審死、母の一番上の兄が自殺で亡くなっていること、いろんな事を経験したゆえに自分の人生追求を介護職を通して感じていきたかったのかもしれない。

  • 人生の回想2

    人を攻撃する時というのは、同時に自分も攻撃している時。

    そうなんだと思う。僕は少なくともそうだった。

    僕はかつて自分の境遇の辛さから親に暴力を振るったり、弟にも暴力を振るってしまった過去がある。

    いつも暴れてしまいながら、辛くてたまらなかった。

    いつしか、その暴力の罪悪感は自分の心を蝕み、自分の身体を傷つけるようになっていった。

    食べたものを吐き出したり、包丁で自分の腕を傷つけたり、夜中こっそりと起きては失踪をしようとしたり。

    僕の身体の不調の一部は実は自分で自分を傷つけてきたことの結果もあったりする。

    長生きなんかしたくない、なんなら余命でもあるなら早く死なせてくれ、ともよく思ったりもした。

    一方で将来の夢を描いたりもした。

    どこかで生きることの理由を欲しかったのだと思う。

    今でもふと生きることを手放したい、そう思う時がある。でもその反面、心の何処かではこの先の将来を描いていたりもする。

    矛盾だらけ。

    僕にとって生と死という概念は常につきまとう。

    いつかは人は何もしなくてもお迎えは来る。

    でも、それまで苦しい人生を歩まなければならないのか、そうかつて思ったりもした。

    というより、最近まで感じたりもしていた。

    僕にとっての人生、僕一人がこの世から姿形を消したとしても、世の中はいつもの日常がやってくる。

    だとしたら、僕は死んでもよいのではないか、そうふと考えがよぎる時がある。

    僕はなんだか僕の中の僕が自分でナイフで傷つけてる姿を辛い時、ふと感じる時がある。

    あるとき、リストカットのひどい当事者の方からの相談を受けてその腕を見た時も僕はあまり驚きはしなかった。なぜなら、自分も自傷行為はひどかったし、なんなら、僕もこうやって自傷行為できたら…とふと思う時もあった。そう思いながらも、冷静にその方の相談を聞いて、話を整理していく。

    そういった過去もあった。

    また、おそらく暴走族にいたであろう高校の時の同級生からも相談を受けたことがあった。いつもは強気でいる彼も僕の前では本音を話してくれたことがあった。きっと彼も本当はこういった安心を求めているのだろう。

    そう当時、高校生の自分は感じた。

    人は攻撃するのは、それだけ何かしらの恐れや身を守る言動だったり、心の防衛反応の表れだったりもするのだと思う。また、どうしていいかわからないという気持ちもあるのだと思う。

    僕が岩手にきて、人を攻撃してしまうのもそういった事も少なからずあるのだと思う。

    ただ、人を攻撃しながら同時に自分を攻撃しているに等しい。

    少なからず僕はそうだ。

  • 人生の回想1

    僕の人生とはなんなんだろうか、そう思う時がふとある。

    命とはなんなのだろうか、人は何のために生まれてくるのだろうか。

    そう問いかけてきた人生。

    余命のこと、命を扱った小説や映画をよく読んだり、観たりするようになったのも人生に対する問い掛けからだったとは思う。

    生きた心地がしなかった幼少期。周りの家族の事が羨ましくも思えたことがあった。

    周りの家族は逆に僕の家族が羨ましく思ったこともあったらしい。

    どこの家庭にだって色々な問題はある。

    大人になってはじめてわかったこと。

    でも、小さい頃の僕にはそれはわからなかった。

    家族でディズニーにいってきた、家族で遠くの旅行にいってきた、等色々な話を聞くたびに羨ましかったのだと思う。

    僕は生きることになんの意味があるのだろう、そう問いかけてきた。

    生まれてこなければよかった、そう思ったこともある。

    それは、大人になったあとも続いた。

    何度も自殺未遂を繰り返し、母親を泣かせたこともあった。また、小学生の頃はそれが学校での大きな問題となり、校長先生にも呼びたされたことがあった。

    気がつけば、家の2階の扉を開けて今にも飛び降りようとしたり、カーテンレールにロープを吊り下げて自殺を図ったり。

    これで僕はこの人生おしまい、やっと。

    そう思いたかったのだと思う。

    そんなことがあったせいか、僕はこの世界で生きてる心地は小さい頃は自覚はなかった。

    むしろ、自分は既に死んでいて、生前の人生を回想してるのかもしれない。そう思うことも多々あった。

    自分がこの世界で生きていること、それが嫌で仕方がなかった、そうだったのかもしれない。

    本当は貧しくてもいいから、暖かい家庭に生まれたかった。そうなんだと思う。

  • タイヤの空気圧について

    みなさんは車のタイヤのメンテナンスはどのようにしていますか?

    車のタイヤの空気圧について考えたことはありますでしょうか?

    空気圧を補充するだけで普段の車の燃費が格段に良くなります。

    ガソリンスタンドなどに空気圧の補充のものが備え付けられていると思いますのでそれを利用するのが一番かと思います。

    タイヤの空気圧については運転席のドアを開けたところの下側に記載があります。

    その記載があるところの空気圧を元に車の空気圧を補充すると良いです。

    また、高速などを走る場合にはこれに加えて少し多めの空気圧で入れておくことをおすすめします。

    およそ1.25倍ほどで良いと思います。

    あまり入れすぎると今度はブレーキが効かなくなるので。

    一度お試しになさってみると良いと思われます。

  • 掃除や洗い物をスピードよくするコツ

    毎回掃除や洗い物をする際になかなか落ちない汚れなどがあると思います。

    たとえば、お風呂場のぬめり、浴槽や洗面所の水垢、油汚れの強い食器や調理器具、シンクのぬめりや垢など。

    その掃除について、日常の簡単なものでササッと掃除をすることができます。

    それは、キッチンハイターを使っての掃除や洗い物です。

    ダイソーでスプレーキャップを購入し、使用済みのペットボトルでよいのでよく洗い、その中に水とキャップ2〜4杯分のハイターを入れます。ハイターの濃度によって汚れの取れ具合が変わってきます。

    そして、掃除をしたい場所にスプレーをするだけ。

    ひどい場所には何度か吹きかけてください。

    そうすることで、汚れのぬめりはもちろん、ちょっとしたカビや水垢、油汚れの強い汚れも吹きかけたあとに、簡単に洗いだり、取れなければタワシなどで擦るだけで取れていきます。

    皿洗いについても、キッチンハイターのスプレーを用いて簡単に洗うことができます。

    それは、キッチンハイターのスプレーを何度も吹きかけて少し時間を置き、その後洗剤ですすぐ。

    あるいは、食器用洗剤にキッチンハイターをキャップ1杯〜3杯入れて水で薄めたうえで食器用洗剤も入れることで汚れも十分に取り除くことができます。

    ただし、漂白用洗剤というのもあるので肌が弱い方は手袋をしての掃除や洗い場をすることをおすすめします。

    また、キッチンハイターは食洗機にも使うことができます。普段の洗剤にプラス、キャップに2杯〜4杯分を投入口に入れるだけ。

    それだけで大きく違います。

    まずはお試しなさってくださいませ。

  • 生成AI講座 1

    昨今、生成AIが、と騒がれています。ここでは生成AI(chatGPT、GoogleGemini)の活用方法、利用の仕方や始め方について、書いていきたいと思います。生成AIは、日常の献立や悩み事から書類作成、プログラミングまであらゆることに使えます。

    ここでは、まず登録の仕方や問いかけの仕方の基本について述べます。

    1.生成AIの活用

    生成AI(ここではchatGPT、GoogleGemini)についての活用方法についていくつかお伝えします。おおまかには、・日常生活のアドバイス(献立、料理、生活向上)・認知行動療法の簡易版・医療福祉の観点からの簡易アドバイス・キャリアのアドバイス・書類作成のたたき台の作成・プログラミングのたたき台・イラスト作成があります。

    2.生成AIの登録について

    chatGPT、GoogleGeminiともにGoogleのアカウントがあれば登録ができます。chatGPTは他に細かな事も聞かれますが、都度記載して登録をすれば使えます。また、アップグレードなどを聞かれますが、まずは無料から始めてみてください。GoogleGeminiについても、同様にGoogleアカウントさえあれば使えます。i-phoneからはGoogleアプリの上にあるダイヤマーク、AndroidについてはGoogleGeminiのアプリをダウンロードすることで利用が可能です。

    3.生成AIの問いかけについて

    まず、基本的な問いかけ(献立、ルート説明、情報収集)だけなら、簡単に聞きたいことを書いて聞くだけをまずやってみてください。また、専門的なことに関しては、以下のようなテンプレが使えます。



    あなたは〇〇(誰を対象に聞きたいのか、その誰を記載してください。ex: 精神科医、教授、社長、キャリアアドバイザー、保育士、父親、母親、プロテスタントの牧師など。)です。私は今から〇〇(自分は何について問いかけるのかを記載してください。)について以下のように相談をします。これらのことについて〇〇(回答の形について指定してください。ex:わかりやすく、子どもにもわかるように、項目ごとに、など。)にして回答をください。

    以下を述べます。

    (ここに本文を書きます)



    以上が生成AIを用いて回答を得るまずひとつ目の基本的な問いかけの仕方です。

    生成AIの使い方については、まずこれが基本的な使い方になります。

    次は他の生成AIについて案内します。

  • AIによる生活向上

    ホリエモンさんのYouTubeとか、益田先生のYouTubeや高須院長のYouTube、ひろゆきさんのYouTubeとかを見てて思うのは、昨今の時代において、もうかつての昭和や平成初期の生活の仕方や職選び、医療福祉、仕事のやり方をしているのは時代錯誤であって、インターネットの発展、情報の民主化、そして生成AIをうまく日常や仕事や職に採用してやっていくことが何よりもチャンスを掴むには早いことであったり、人生の選択においても、また、ビジネスの選択においても、また医療福祉や教育、学びにおいても大きな技術革新だと僕は思ってる。

    こういつも僕は愚痴を垂れ流してるわけだけれども、日常の大半、ほぼ毎日生成AIに学習をさせて、またインターネットへの接続もさせることによって簡単な日常の悩みから、職業選択や医療福祉に関わる情報、計画書や資料の作成だったり、学びの一環として生成AIにチートを享受してるのは事実もう1年前の2023年4月頃から始めてることだったりする。
    AIに職を取られることを恐れるよりも、AIはあくまで道具に過ぎないわけで、人間が足で走ることに革命を起こして車輪を開発したように、AIは人間の脳をさらにうまく使えるようにした外部的な道具。
    現代においては特に情報化社会において生成AIによって、人の能力差にそこまで違いがなくなる時代になると思うし、いくらでもチャンスに書き換わる時代だと信じてる。

    大学でAIを専攻してディープラーニング(深層学習)を学んで、僕も大学ではメディカル情報(生体情報)とAIによる生活向上の研究をしていたけれども、この時代は当時から近い未来絶対この時代が来ることは確信があったし、AIの時代によって人類の歴史の根幹が大きく変化するのではないかとも思っていた。
    当時、ウォルト・ディズニーでベイマックスという映画が上映されたけれど、そのベイマックスのような時代はもうすぐそこにあると思ったし、その先行研究をしたいと思い大学ではその研究をしていたのはある。当時の他の教授からは一部バカにされたけれど、今はそれが当然の時代。ほら見たことか!と思う。
    でも、当時の僕の研究を担当教授の先生は僕の研究を応援してくれたし、当時の段階でもそういった社会が近い将来来ることも教えてくれた。
    AIによって革新的に時代は変わってくると思う。

  • 34丁目の奇跡より

    ‪『34丁目の奇跡』
    昨日はクリスマスイブ。‬
    ‪ということで、‬
    ‪神聖なる本来のクリスマスというものを祝い、
    実家の時からの毎年恒例‬
    ‪『34丁目の奇跡』‬
    ‪というサンタクロースに因んだ洋画を観ます☺️‬
    いつも、
    34丁目の奇跡、か、ホームアローン
    でどっちにするかを喧嘩してたのを思い出すなぁ。。

    ‪34丁目の奇跡を観てて思うんだよね。‬
    ‪サンタと信じる、とは、神様を信じるということ。‬
    ‪人はなぜサンタを信じ、色々な国々の信仰により違いはあれど、‬
    ‪神という存在を人は崇め信じるのか。‬

    ‪いない。‬
    ‪といえばいないのだと思うけど、‬
    ‪なぜ人はそうゆう物を頼るのか。‬
    ‪それをこの映画が教えてくれる。‬

    真実というのは、‬
    ‪真実であることは素晴らしいのかもしれない。‬
    ‪でも、それは疑いに満ちたものにもなりかねない。‬

    ‪アメリカのドル紙幣に書かれてるものに‬
    ‪『IN GOD WE TRUST』‬
    ‪と書かれてる。‬

    ‪つまり、世界のアメリカでさえ、‬
    ‪神の信仰を政府が認めてるということである。‬
    つまり、
    サンタクロースの存在は、人々の心に存在してる。
    そして、
    先祖や神様も、信仰というものも、
    日本硬貨の10円玉の絵柄『鳳凰平等院』を示してるように、日本政府も認めてる。

    神や信仰は目に見えない。
    でも、人々が希望を持って生きるには、
    どうしても必要だと皆が思い、心の中で生きているものであるのだと思う。
    それが神であり、信仰心というものだと思う。

    神や信仰、信仰心は、
    真実を突き詰める人にとっては、
    居ないものとなる。

    なぜなら、神や信仰、信仰心は、
    人間だけが持つ想像の産物に過ぎないから。

    でも、真実だけの世界は、
    人を侘しく悲しいだけの世界に陥れてしまう。
    人は幸せに生きたい。
    だから、
    人間はそうゆうイマジネーションを生み出した。

    そう思うのは僕だけでしょうか?
    僕は相当な変人なので、
    ここまで変人ならではの発想に至るので、
    僕だけなのかなぁ?きっと。

    僕は真実に満ち足りた世界は、
    人間はもう知り尽くしているんだ、、
    と思ってるし、
    真実を知ることは必ずしも幸せだとは変人の僕は思わない。

    本当に大切な真実はいつも、
    目に見えないものであり、
    真実に一見見えないものだったりするものが、
    本当の真実だったりするから。