僕はかつて、斎藤一人さん、という方の本を読んだことがあった。
それは母からのすすめもあったとは思う。
むしろ、母から読みなさいと言われて読んでいたと思う。
その中で、過去形で感謝を伝えること、既にそうなったことにして口に出すこと、天国言葉と地獄言葉などがあったとは思う。
今は僕はプロテスタントのクリスチャン。
クリスチャンになってからからの祈りについて、最初は形式はわかってもそれがどうゆうことなのか、わからなかった。
ただただ祈りは神様との対話、と聞いていて、そのようにやっていただけだった。
あることをきっかけに米沢興譲教会の田中先生の説教を聞く機会があった。
オンラインではあったが、その中で学んだのは、
「請求書の祈りではなく領収書の祈りをしなさい。すなわち、それが既に叶えられたと信じて祈りなさい。」
という言葉を聞いた時、はじめて点と点が結ばれた気がした。
つまり、祈りの中での、信じます、という言葉は、
過去形でそうなったこと、叶えられたこと。について信じます。ということであり、既にそうであること、それを、信じます。ということなんだ、ということにはじめて気付かされた。
斎藤一人さんのことと、聖書の祈りについて、つながりはわからなかったし、どうしてそれぞれに学びを与えられたのか、わからなかったけれどもこうして今になって気付かされたものは、得たことはかなり大きいと感じた。