僕の人生とはなんなんだろうか、そう思う時がふとある。
命とはなんなのだろうか、人は何のために生まれてくるのだろうか。
そう問いかけてきた人生。
余命のこと、命を扱った小説や映画をよく読んだり、観たりするようになったのも人生に対する問い掛けからだったとは思う。
生きた心地がしなかった幼少期。周りの家族の事が羨ましくも思えたことがあった。
周りの家族は逆に僕の家族が羨ましく思ったこともあったらしい。
どこの家庭にだって色々な問題はある。
大人になってはじめてわかったこと。
でも、小さい頃の僕にはそれはわからなかった。
家族でディズニーにいってきた、家族で遠くの旅行にいってきた、等色々な話を聞くたびに羨ましかったのだと思う。
僕は生きることになんの意味があるのだろう、そう問いかけてきた。
生まれてこなければよかった、そう思ったこともある。
それは、大人になったあとも続いた。
何度も自殺未遂を繰り返し、母親を泣かせたこともあった。また、小学生の頃はそれが学校での大きな問題となり、校長先生にも呼びたされたことがあった。
気がつけば、家の2階の扉を開けて今にも飛び降りようとしたり、カーテンレールにロープを吊り下げて自殺を図ったり。
これで僕はこの人生おしまい、やっと。
そう思いたかったのだと思う。
そんなことがあったせいか、僕はこの世界で生きてる心地は小さい頃は自覚はなかった。
むしろ、自分は既に死んでいて、生前の人生を回想してるのかもしれない。そう思うことも多々あった。
自分がこの世界で生きていること、それが嫌で仕方がなかった、そうだったのかもしれない。
本当は貧しくてもいいから、暖かい家庭に生まれたかった。そうなんだと思う。
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